以下は、Facebook タイムラインに長文が書けなかった2011 年当時、代表の加藤清輝がFacebook ノートに分割掲載した渡航記録をまとめたものです。
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バングラ渡航記録(その1) 2011年4月30日
やっとネットにつながったので、バングラデシュに着いてからの一連の行動を。

鶴岡を出てから27時間後にダッカ国際空港に着きました。今回で18回目のバングラデシュ渡航ですが、ここ10年は乗り継ぎ便の接続がいい香港経由のキャセイパシフィックを使っています。日本から香港までは日本客も多く客室乗務員も日本人が搭乗していますが、今回初めて香港-ダッカ間でも日本人の乗務員が搭乗していました。そういえば日本人らしき人たちもいつもより多いようで、よくよく考えてみたら、この便は香港-ダッカーカトマンズー香港のトライアングル便で、案の定、ダッカで降りた日本人は数名で、ほとんどはカトマンズ行のようでした。

今回持ち込んだ機内預け荷物は、頼まれ物もあり28kg。上限23kgで5kgオーバー。以前は拝み倒すと目をつぶってくれることもありましたが、ここ数年重量チェックが厳しく、30US$/kgの追加料金をしっかり取られました。
今回は事前にネットでチェックインしていて座席も確保していたので空港では比較的スムーズに手続きが済みました。ボーディングパスも、ネットでダウンロードし印刷したコピー用紙でOK。チケットもネット上で発行してくれるEチケットに切り替わっているので、手元にipadとネット環境とevernoteがあると、搭乗手続きもすこたま便利になりました。

バングラ渡航記録(その2) 2011年4月30日
その1で言い忘れましたが、今回は昨年までJICA協力隊員としてバングラデシュで地域開発を担当していた辻さんと2人旅。

日本とバングラデシュの時差は3時間。28日はダッカ空港に現地時間20時半ごろに到着。空港には現地スタッフのモンジュールとブルブルが出迎えてくれていました。彼らと一緒に空港近くの定宿へ。私も辻さんも半年ぶりのバングラで、興奮冷めやらず夜中の2時まで4人で話しこみました。

それでも4時間睡眠の6時には目が覚め、朝のダッカ市内の空気に触れ満足。例年であれば、雨季に差しかかり気温も40度を超えるのですが、この日は最高気温も33度どまり。なんと涼しいではないか。

今回の我々の渡航目的は、
1.バイオコンポスト事業
2.ソーラーエネルギー事業
3.新規プロジェクト調査
の打ち合わせにあります。実質7日間でどこまでできるか、スケジュールがあってないようなこの国では、日本的な感覚で事に臨むとストレスになります。やりたいこと、やらなければならないことを優先順位をつけてリスト化し、その70%もできればいいほうです。

案の定、昨日もダッカでスタッフの親族の結婚式があるので出席して欲しいとの話が急に舞い込んで、ほんの1時間の出席のために、待ち時間を入れて丸1日がこのためにつぶれました。我々がチャーターしたはずのミニバス(日本でいう9人乗りワゴン車)も花婿花嫁のハネムーン用に使われてしまい、代わりのミニバスが来るまで2時間近く蚊がうようよしている屋外で待たされて、ああ、自分は今バングラデシュにいるのだと、あらためて自分に言い聞かせたところでした。

17時にダッカを出発し、活動地ラッシャヒに着いたのが夜中の1時半。定宿の寄宿舎に入って、そのまま深い眠りに、とおもいきや、夜中に左下腹部が痛くなり眠られず。胆石かなと内心心配しながら、今回は初めて病気怪我の治療費無制限の保険に入ってきたことを思い出し安心したからかそのまま4時間の睡眠。

今日から、活動スタートです。

バングラ渡航記録(その3) 2011年5月1日
写真を載せようと思いましたが、回線の関係で帰国後に整理します。

さて、十分に予測されたアクシデントにめげず、本来のNGO活動をスタートしています。昨日30日は、半年前からスタートしたバイオコンポストプロジェクトの検証ミーティングをしました。

「バイオコンポスト」というのは生ごみ等を発酵させてたい肥を作ることで、そのプラントを我々のプロジェクトで作りました。いろいろなやり方を試していますが、いま一番力を入れているのが、次の工程です。

1.牛糞(7割)と生ごみ(3割)をブレンドして2週間発酵させる。
2.発酵してある程度熱が冷めたものを厚さ30cm程度に敷き詰めて、コンポスト2立米に対して4kgの割合でミミズを放す。これでさらに2週間、ミミズによるコンポスト化を進める。
3.計1カ月程度処理したものを袋詰めにし、有機肥料として頒布する。

いまのプラントでは、月産50立米のコンポスト化が可能です。ミミズも自然増殖するので、規模拡大にはさほどコストがかかりません。

バ ングラデシュでバイオコンポストプロジェクトを始めようと思ったきっかけは、化学肥料による土壌の疲弊を目の当たりにしたことによります。かつて、米国主導でグリーンレボリューション(緑の革命)という名のもと、多くの途上国の食糧増産を目的に、化学肥料が無償で配布されました。その結果、この化学肥料な しでは農作物を作れない土壌になってしまい、化学肥料が有償化されるに伴い、ただでさえ貧しい農家の経済的負担が社会問題化してきています。

バングラデシュに豊富にある資源を利用して、化学肥料一辺倒によらない農作物生産の手助けをするというのが我々のプロジェクトの目的です。

こ のコンポスト肥料の付加価値をつけるために、いま、別プロジェクトで土地利用型作物(米、ジャガイモ)、園芸作物、花卉栽培のハイブリッド種苗供給を進めていますが、コンポスト肥料と抱き合わせでの頒布を予定しています。日本にもあるように、たとえばイチゴ用に配合調整された肥料をイチゴの苗と一緒に頒布 するということです。

今日は、バングラデシュでもメーデー。我々のプロジェクトに参加してくれている農家集落を回る予定です。

バングラ渡航記録(その4) 2011年5月2日
これも十分に予測できたことですが、昨日はメーデーでラッシャヒ市内でデモ行進があり、車の往来が制限されていました。毎年数台の車がデモ隊によりクラッシュされるということです。それで午前中はおとなしく室内でミーティングしていました。

午後にデモ隊が解散したことを確認した後、予定どおり、我々のプロジェクトを手伝ってくれている農家集落に向かいました。車で30分の距離で、まさにバングラデシュのルーラルエリア。農村の原風景といったところです。

ここでは、我々のプロジェクトで種苗を供給しているジャガイモ栽培と、それに「パン」と呼ばれる噛みタバコ栽培でここ数年で所得が10倍近くになった農家がいくつかあります。我々のプロジェクトは農村開発で、農村部が豊かになることの手助けをするのが大きな目的です。

その中の1軒から遅い昼食を招待されました。この田舎料理がまたおいしいこと。チャイ(ミルク紅茶)もおいしい。食事後に集落を散策していると、放牧のため山羊を引き連れた老人とすれ違ったり、学校帰りの子供たちがはにかみながら後ろからついてきたりと、心地よい小1数時間を過ごしました。

その後、近くのグラウンドで村対抗のクリケット大会があるから来賓で出席して欲しいという話があり、2時間クリケットを観戦しました。クリケットは、英国連邦であればどこでも国技になっているスポーツで、世界的には野球人口より多いといわれています。ルールはよくわかりませんでしたが、数百人の応援団と一緒に声援を送りました。試合後にプレゼンターとして優勝チームにトロフィーを贈る役目も担いました。

夕方寄宿舎に戻ると、イール(うなぎ)を捕まえてきたから食べようという話になり、同行の辻さんと現地のJICA協力隊員の小倉さんの協力でかば焼きに挑戦。これもまたうまいこと。前日は焼き鳥の炭焼きでおいしい思いをしたばかりで、今回の渡航は「食」に恵まれています。今日はすっぽんを捕まえてくるからとスタッフが意気込んでいます。

さて、今日はこれからコンポスト施設と研究施設のオープニングセレモニーがあります。その後に、今回の渡航の2つ目の目的であるソーラープロジェクトに取り掛かります。無電化地帯の農村部に出かけて、ソーラーパネル設置と地域振興策の打ち合わせをしてきます。

バングラ渡航記録(その5) 2011年5月3日
実は昨日(その5)を書いたのですが、途中で回線が切れてしまって、完成した記述がパーになってしまいました。web版facebookの使い方がよくわかっていません。クライアント版って言うのもあるのでしょうか?

さて、こちらバングラもようやくバングラらしい暑さになりました。気温はまだ40度まではいっていないと思われる(温度計を持ってくるのを忘れた)のですが、湿度が高く、屋外では木陰にいないと頭がくらくらします。

そんな中、昨日午前中は、バイオコンポストプラントとラボのオープニングセレモニーが行われました。出席者は総勢200人ぐらい。私も来賓としてひな壇に上がりました。10人ぐらいが祝辞を述べ、私と同行した辻さんもお祝いの言葉を話させていただきました。私の話は次の3つです。
1.サスティナビリティ(持続的発展)について・・・資本、資源を食いつぶす援助では意味がないということ。
2.米百俵の教えについて・・・国の発展の基本は教育であること。
3.東日本大震災について・・・国が1つにまとまる意識が働いていること。
震災では、主催者の提案で皆で1分間の黙とうを捧げました。

昨日午後は、ラッシャヒから車で50分の無電化の農村集落に行き、ソーラーパネル設置とプロモーション活動を行いました。ソーラーシステムは、
1.ソーラーパネル(電気を起こす)
2.コントローラ(充電・放電を調整する)
3.ディープサイクルバッテリ(電気をためる)
4.インバータ(DCからACに変換する;必要に応じて)
が必要で、これら機器を我々のプロジェクトで提供させてもらいました。ソーラーパネルは80w級1枚だけなので電力的には限られていますが、それでも夜間に電灯がつくことは画期的なようです。今後はこのソーラーシステムによって生活様式がどう変わっていくか、リサーチをする予定です。

ちなみに、バングラデシュは恒常的な電力不足で、電気が通っている地域でさえ、計画停電があります。そのこともあっては、数年前からシリカ電球がほとんど蛍光電球に切り替わりました。この変化のスピードには驚かされました。また、ソーラーシステム普及のためには電気技術者の育成が欠かせず、我々のプロジェクトの重要なプログラムになっています。

私の専門は電気技術と農業土木技術で、昨日のソーラーパネル設置では、私もお手伝いする予定でしたが、恥ずかしいことに頭がくらくらしてこれは危ないと判断し、同行の辻さんに指導一切をお願いしました。地元の若き電気技術者も物覚えが良く、頼もしい限りでした。

数年前から、我々が現地で活動すると必ず同行してくれるテレビ局のレポーターがいて、バングラデシュ全国ネット「チャンネル9」のファタさんという人ですが、今回もほぼ毎日我々と行動を共にしてくれています。今回のバイオコンポストプロジェクトとソーラーエネルギープロジェクトの活動状況も、明日か明後日の全国版ニュースで流れると思います。

さて、今日の予定は、新規プロジェクト調査のための関係者とのミーティングです。
1.教育支援プロジェクト・・・先生たちとのミーティング
2.農業技術支援プロジェクト・・・スタッフとのミーティング。
どちらも現状把握と課題、今後の方針の共有が目的なので、ワークショップ形式でどうかなと思っています。

昨夜は「すっぽん」料理が出るかなと期待していたのですが、みな暑さで疲れて気力が出ませんでした。

バングラ渡航記録(その6) 2011年5月4日
今回は「カイゼン(改善)」について話したいと思います。

昨日は農業プロジェクトのスタッフと2時間以上ミーティングしました。それで、教育プロジェクトの先生たちとのミーティングは今日に延期になりました。

農業プロジェクトのスタッフは総勢30人。ジャガイモ、米、イチゴ等の栽培担当マネージャー、マーケッティング担当マネージャー、会計担当マネージャーの計10人のマネージャーが中心になりこのプロジェクトを進めています。昨日のミーティングでは、遠方の農場にいたり出張中で出席できないスタッフを除き20数名が参加しました。

ミーティングの目的は、プロジェクト運営の課題の整理。いろいろと課題を出してもらいそれについて議論を進めましたが、バングラの人は議論好きで収拾がつかないところがあります。案の定喧々諤々の議論になってしまい、それで、こちらから次の提案を出しました。

議論には3つあるということ。
1.一方的に不平不満を言い合うだけの議論。
2.問題点を仲間内で共有する議論。
3.問題点を共有し解決するための議論。
このなかで、3の議論になるよう努めるようにとアドバイスしました。

また、あるスタッフは「なにも問題はない。順調にいっている」と言いましたが、それは問題がないのではなくて問題を見つけることができないのだ、ということを話しました。

ここで「カイゼン(改善)」という話をさせてもらいました。これは同行した辻さんが、JICA協力隊で農村開発のファシリテーターをしていたときによく使った言葉だそうです。この言葉のインパクトは大きな効果をもたらすことを実感しました。数年後には、「カイゼン」が、ベンガル語辞書に載るのではないかという期待を持ちました。

私の話の趣旨はつぎの7項目です。
1.現状に満足していたのでは、このプロジェクトは良くならないということ。
2.必ずどこかに問題があり、その問題点に気づくトレーニングが必要であること。
3.その問題点をスタッフ間で共有すること、特にマネージャー会議を充実させること。
4.問題は解決するために存在すること。解決を目標としない議論は意味がないこと。
5.常に「カイゼン」を心がけること。
6.目標管理(management by objective)を徹底すること。
7.カイゼンと目標管理の「見える化」を図ること。ホワイトボードに記載し、常に皆の眼に触れるようにすること。

農業プロジェクトはますます大きくなります。30人のスタッフが5年後には300人になるだろうロードマップを持っています。組織運営(システム)については、同行の辻さんから貴重な話をしていただき、白熱したミーティングでした。

今日はこれから教育プロジェクトのミーティングがあります。

バングラ渡航記録(その7) 2011年5月5日
とうとう風邪をひいてしまいました。数日前から現地スタッフの1人がのどが痛いと言っていたのでこちらも気をつけていたのですが、常に行動を一緒にしていたので、どうやら移されてしまったようです。昨日の夕方から鼻の奥と喉が痛くなり出しましたが、熱がないのでたぶん大丈夫でしょう。スタッフが悪いと思ったのか、風邪薬を買って来てくれました。

さて、昨日は教育プロジェクトの先生たちとのミーティングがありました。国を豊かにするには教育が第一。その呼びかけに応えて貧困家庭の子供たちを対象に、15年前から初等教育を、5年前から中等教育をスタートさせました。この1月に新1年生が70人入ったことから現在317人の生徒と10人の先生がいます。

ここまでくるまで何度も紆余屈折があり、一時は運営資金が足りず休校を考えた時もありましたが、いまは運営資金の問題はなくなりました。運転資金は前回話した農業プロジェクトの農産物販売収益で賄い、卒業生の何人かはこの農業プロジェクトのスタッフになっています。

経済的自立、そしてサスティナビリティというシステムに何とか持ち込むことができました。これも日本をはじめ多くの人たちの協力、連帯の賜だと感謝しています。

先生たちとのミーティングでは、教室が狭くなっている、シーングファンが全部の教室で欲しい、といった、施設整備に関する要望が大半で、給料を上げてくれとか、教育の質が落ちているとか、マイナーな話は皆無でした。数年前まではちらほらこういう話も出ていたのですが、給料も満足しているし、生徒の学習レベルも高いとの評価を聞くにつれて、一時の苦しみがすっかり晴れた気分になりました。

今後の課題は、高等教育課程の新設です。我々のロードマップでは、来年度に高等教育課制をつくり、5年後に農業単科大学の開設を目指しています。達成できるかわかりませんが、夢は持ち続けていなければ実現できない、という思いで、教師やスタッフが一丸で取り組んでいます。

来年1月、教育プロジェクト創立15周年を記念して、セレモニーが行われる話も決まりました。

もう1つ、貧困家庭の子供たちに夢を持ってもらいたいこととして、同行の辻さんから、子供科学館新設の提案がありました。この子供たちの中から宇宙飛行士が出てくれればという夢です。

いま学校となりの寄宿舎にいますが、こうしてノートを書いている傍で、子供たちの元気な声が聞こえてきます。一通りのミッションが終わったので、今日は休息と取り、明日予定通りダッカに戻り夜に香港経由の便で帰国します。

バングラ渡航記録(その8) 2011年5月6日
今回は「マイクロクレジット」についてです。

なにはともあれ、先ほど首都ダッカに戻りました。支援地ラッシャヒから長距離バスで6時間弱。最初はこの6時間のバス移動が苦痛でしたが、18回目の渡航となるとすっかり慣れてしまいました。何が苦痛だったかといえば、カーチェイスに6時間付き合わされたような乱暴な運転にうんざりしていました。

さて、今回の渡航ではおおむねミッションが達成されたと思っていますが、こまかいところでやり残したことがありました。ソーラープロジェクトで、農村部への普及策で「マイクロクレジット」が検討課題に入っていました。いまや貧困から抜け出すための切り札として多くの途上国で導入されていますが、発祥はここバングラデシュです。

グラミン銀行創始者でノーベル平和賞受賞者のムハマドユヌスが始めた経済システムで有名ですが、仕組みを簡単にいえば、担保がなく融資を受けられずチャンスがあっても事業ができなかったルーラル(農村部)の女性に対して、少額融資をして事業化の手助けを行い、大きな成果を収めました。融資金額は、日本円にして5千円から2万円ぐらいです。

我々のソーラープロジェクトも、ソーラーを導入したくても資金がなく導入できない農村部の人たちに、このマイクロクレジットと同じ仕組みを導入できないか、そのためのリサーチを今回の渡航期間中にやりたかったのですが、私が風邪をひいたこともあり、時間が足りず今回は断念しました。

ところで、グラミン銀行については、マイナーな話が数年前から聞こえてきています。その要点は、
1.グラミン銀行はサラ金のような商法で巨額の富を得ている。
2.融資金が返せず、自殺した人が多くいる。
3.ムハマドユヌスは悪人である。
等等、、。

ムハマドユヌスは数ヶ月前に、グラミン銀行総裁を下されました。

私としては、詳しい状況が分からなかったのでいままでコメントを控えていましたが、今回ここにきて、いろいろな話を聞くなかで、少し見えてきたところがあります。それは、
1.ムハマドユヌスは、政争にまきこまれた。・・・バングラデシュには二大政党(BNP、AL)があり、現政権はAL(アワミリーグ)であるが、グラミンの巨額の資金が欲しいため、ムハマドユヌスやグラミン銀行のネガティブキャンペーンを行ってきた。
2.現首相のセイコハシナ(女性)は自分がバングラデシュと隣国ミャンマーの民族紛争を解決したことでノーベル平和賞をもらえるものだと思っていたのに、ムハマドユヌスが受賞したため、ジェラシーを持ってしまった。
3.今回のムハマドユヌス辞任に対して、多くのベンガル人が彼に同情的で、いままで否定的だった人たちもユヌスはいい人と言い出している。

真実は私もよくわかりませんが、ユヌスへのジェラシーとグラミンの資金欲しさであることは、いまのベンガル人の共通した認識のようです。急にユヌスがいい人になったのは、日本的でいえば判官びいきの様なものかもしれません。

今回の渡航でのバングラ投稿はこれが最後になります。帰国後に、写真(アルバム)整理と、それに番外編として、バングラ渡航を考えている人のための「うんちく」を少々書きたいと思います。

これからダッカ空港に向かい、カトマンズ、香港経由で、帰国します。